-
Espace presse
Close

プレシャス・ウォッチ

19世紀のジュエリー腕時計とブレスレット時計

1675年から19世紀終わりにかけて

最も古い腕時計の1つ

ナポレオン1世の妃であるジョゼフィーヌ・ド・ボアルネは、1806年に養子のロイヒテンベルグ公ウジェーヌ・ド・ボアルネとアウグステ・アマリアの結婚を祝して、ナポレオン1世の宝石商だったニトにこの妻のための2つのブレスレットを注文しました。そのいずれもがコロンビア産のエメラルドが50個、東洋産のパールが192個セットされた豪華なものでしたが、ニトはその1つに時計、もう1つにはカレンダーを組み込み、どちらの文字盤もそのまま見えるようになっていました。

まだ例外的ではありましたが、この時期になると宝石やパールをセットした角型、オバール型、ナベット型の時計が富裕層の女性の腕に見られるようになります。中にはリボンを結んであるものや、繊細なゴールドのブレスレットが取り付けられているものもありました。1888年以降になると、宝石が付いていたり付いていなかったりしますが、初の婦人用腕時計が量産されるようになります。19世紀、婦人用の腕時計は装飾品としての価値のほうが重要で、ジュエラーは彫金師、エングレーバー, エナメル職人、 ストーンセッター達を総動員して豪華な、ブレスレットを製作し、またあらゆる表現を試みました。ブレスレットの真ん中にある小さな時計は取り外す事が可能で、ソートワールに取り付ける事も出来ました。これらの時計は装飾されたカバーや宝石で隠れていて、時間を知ると言う時計本来の役割は2次的なものに過ぎませんでした。これらのブレスレット時計はほとんどが無銘です。しかし中にはパリのグレグソン、ラ・ショー・ド・フォンのロベール・ブラン、そしてジュネーブのオーベール、ジャン=フランソワ・ボット、アンリ・カプト、ドエネル、トゥロン・ラヴィエらの銘が入ったものもあります。

1880年代、ジュエリーとしての役割は未だ根強いものでしたが、1888年にカルティエが発表したイエローゴールド・ブレスレット腕時計の様に、時計がカバーで隠されたりする事はほとんど無くなりました。そして標準化された部品を使用した腕時計の量産が始まります。その中には1888年にルイ・ミューラーが製作した腕時計や、またヴァシュロン・コンスタンタン、ウィーンのグスタフ・プレイズらによる腕時計があります。

女性用のブレスレット時計は何よりもまずジュエリーであると考えられていました。時計としての精度は普通程度でしたが、それが問題になることはありませんでした。

戻る