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プレシャス・ウォッチ

アール・デコの幕開け

1895年から現代まで

1900

Cartier: パンテール(豹)の柄を表現した腕時計 カルティエ パリ/1914年

1900年頃、後期ルイ16世様式に代わってアール・デコが誕生します。アール・デコが花開いたのは、パリで開かれた万国博覧会においてです。元々は1916年開催の予定だったのが、第1次世界大戦の影響で1925年に開催されました。この際、宝石商のルイ・ブシュロン、ルイ・カルティエ、レイモン・タンプリエ、アルフレッド・ヴァン クリーフ は、宝飾品を担当する"ラ・パルール”委員会に参加しています。

1910年以降の腕時計は、色使いがシンプルなものに移行していきます。ダイヤモンドにサファイヤやオニキスと組み合わせて用いられ、ジュエリーに導入された新素材プラチナにセットされています。

プラチナは古代エジプト第18王朝(紀元前1551年~1306年)の頃、すでにゴールドと共に装飾品に用いられていました。紀元前720年頃に作られた「テーベの小箱」には、プラチナの象嵌でヒエログリフ(象形文字)が書かれています。1520年頃、現在のコロンビアの辺りでスペインのコンキスタドール(征服者)達は未知の金属を発見します。彼らはそれを軽視して、「小さな銀」と言う意味の「プラチナ」という蔑称で呼びました。その後1741年頃まで、ヨーロッパではプラチナを用いた記録はありません。プラチナの加工には、その1772℃というあまりに高い融点が障壁になります。ちなみに金の融点は1063℃、銀の融点は961℃です。しかし紀元前100年頃、南米の先住民達は既にこのプラチナを装飾品に使っていたのです。1751年、スウェーデンの科学者テオピル・シェーファーが、少量の砒素を用いてプラチナを溶解する事に成功しました。1780年にはフランスの金細工師マルク‐エティエンヌ・ジャヌティが、ルイ16世のためにプラチナ製の調度品や時計ケースの一部を製作しています。1782年にはラヴォワジエが、酸素を利用してプラチナを直接溶解する事に初めて成功しました。そして少しずつ、この不変の白い金属はジュエラーの間にも浸透していきます。青みがかったその白さは、ダイヤモンドの輝きを一層引き立てるのです。

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